はじめに

タイトルの「罪と体験」というのは一見大した関連性がないように思えますが、生きる上でとっても重要なことと思い、ブログに書くことにしました。
体験することの大切さ、を今一度自分でも噛み締めて歩んで行こうと思ったからです。
著書『神との対話』を主に触れていこうと思います。
罪というものがあるとすれば、これがそうだろう。他人の体験で自分を創りあげてしまうことだ。これがあなたがたが犯してきた「罪」である。ひとりひとが犯してきた罪だ。あなたがたは自分で体験するまで待たず、他人の体験を福音として受け入れ、実際の体験をする時には、すでに知っていると考えていることをなぞる。
引用:『神との対話』第13章 著者:ニール・ドナルド・ウォルシュ
しかし、ここでいう罪は人生における哲学的な意味での罪です。
それは、「自ら体験をせずに本や人が言ったことをあたかも自分の体験のように受け入れて知っていることにすること」です。
どうしてこれが罪なのか?
これを詳しく書いていきます。

その言葉は誰の言葉?

今は情報過多な時代です。
本以外でもYouTubeやSNSなどで、多くの情報を知ることができます。
そして、それを自分の言葉で話すこともあるでしょう。
そのこと自体が悪いというわけじゃありません。
1つの今風のコミュニケーションでもあります。
ただ、自ら体験して知ることを軽視してしまう場合があります。
有名な人の言っていることをそのまま受け入れて、自ら体験せずに知ったつもりになることです。
それでは、自分の口は単なるスピーカーとなります。
自分の言葉にしても、それは、スピーカーの音質が少し変わった変化に過ぎず根本は相手の言葉を受け取ったに過ぎません。
大事なことは、自ら体験してそこで得た感情から導き出された言葉が重要となります。
発達、進化の聖なる三位一体

言葉で知ったことを、自ら体験したことを糧にして自分の人生に反映することです。
知る、体験する、在る
の順番で人は経験するとされています。
「知る」こと、「体験する」こと、何者かで「在る」ことの順に発達し、進化する。これが聖なる三位一体、神の三位一体である。
引用:『神との対話』第13章 著者:ニール・ドナルド・ウォルシュ
知るからこそ、体験でき、体験するからこそ、体験を得た「在る」自分になるわけです。
この重要性は、人からの洗脳を防ぐ最も重要なアプローチです。
誰の体験なのか

人は、知らないうちに思い込みが作られます。
これは洗脳と言っても良いでしょう。
まず、生まれ育った家族という環境での洗脳。
両親を中心に偏った常識が自分の常識になり大人になってもそれに縛られます。
学校では、教育環境の洗脳。
社会に出れば、組織での洗脳。
そこで培った価値観で人は、エゴに縛られ苦しむのです。
この洗脳は、生きる上での糧として大切なノウハウも含まれます。
なので、一概に洗脳=悪いこととも言えません。
大事なのは、自分でその洗脳を解くことなのです。
そのために親、先生、上司、メディアの言葉で、知ったつもりにならないことです。
自分を創る

すべて、自らの体験で得た感情こそが真実として受け止める意識を持つことで、初めて洗脳の外側に行けるのです。
それは、容易ではないでしょう。
家庭では、反抗的と呼ばれたり、学校では協調性がないと言われ、社会では不適合者という言い方をされるかもしれません。
しかし、どうあれ自分が生きづらいと感じるのであれば、自分で体験をして得た経験と感情こそが真実として重ねていくことなのです。
もしそれをせずに、人の言葉だけで生きるのは自分の人生を生きていることから離れることになります。
長所を生かし、創造的な生き方にはならなくなります。
そこに自分が生まれてきた目的が限りなく損なわれることになります。
それが唯一の「罪」となるのです。

おわり
いかがでしたでしょうか。
限られた人生の中で自ら体験するのはとても労力も時間も要するため限られたことになります。
ゆえに何を体験することを選ぶか?
それが自分の長所を生かすためのアプローチになり、人生を創造することになるのです。

もし、自分の生き方ができていない。
生きずらいと思っていなら、誰かの言葉を受けいれた思い込みで生活しているからかもしれません。
そういう時こそ行動し、体験することで打破できることでしょう。
僕自身、まだまだ体験が足りないなと日頃思っています。
本などからのインプットに比べて体験が少ないのできっと多くの思い込みが僕にあることでしょう。
それをさせているのは体験することへの不安、恐れというネガティブな感情。
そのつもりはなくてもきっと無意識に防御反応として働き体験を避けているかと客観的に思ってます。
しかし、自覚した時は踏み出す時。
フラワーエッセンスを選び摂りながら勇気を湧き上がらせて新しい世界に踏み込んでいこうと思います。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。


