はじめに
日々生きていると何を心がけるかがよく揺らぐのです。
大切なことは多くある。しかし残念ながら脳が1つしかない構造上の理由で人は、1つのことしか考えることしかできないわけです。複数考えているつもりでもそれは、厳密に順番に考えているに過ぎなく、複数の事柄を一度に思い返すことが不可能となります。
では、生きる上で何を最優先に1つ心がけるか?
ということを意識することで日々揺らぐ感情を支える力になると思うわけです。それが、自分が幸せな人生を歩む上での「徴(しるし)」になり得ると。※徴しるし=意味を持つ出来事
これから引用する文献を中心に行き着いたのが
「全てのことは感謝に通じる」
ということです。
自己啓発もスピリチュアルも行きつく先はここだと思うのです。けど、そう気づいても日々の喧騒に飲まれ、いつの間にか忘れ、見失います。そして僕は、高慢になる傾向があるので、いつしか他人との距離を離れるような行動にもなります。
それは、万物から分離を意味し、自分の本来1つの心がバラバラになったり、乱れを生み出すのです。
だから僕は、ブログに刻むことにしました。
しかも不特定多数の人が見る場所だからこそ、ある程度言葉を厳選し整えることでより客観的に見た時にも納得できるようにするためです。
結果、読者の方にも何かしら心に響くものができれば幸いです。
感謝とはなんなのか
Wikipediaで感謝の意味を調べると下記となります。
優しさ、贈り物、手助け、好意、その他の厚情を受けた人物がそれらを施してくれた贈り主に向けて示す、ありがたいという気持ちやその感情を表すポジティブな反応のこと
引用:Wikipedia
これは、ごく一般的であり日常で使う上での解釈だと納得できます。しかし、これは事象につけた名称に過ぎないと思うのです。文献で述べられている感謝にはもっと深い意味があるはずでありそれを掘り下げます。
ここで、その結論を先にいうと
「感謝=愛」という定義になるのです。
では、愛とは何かというと、ドラマのようなラブストーリーはその一部に過ぎずこれももっと深い意味があるのです。それは、万物のユニティー。
万物は全て1つであるということ。
「この世界のすべては、別々に見えて実は一つの流れの中にある」
ということです。
この万物のユニティーという言葉は、エドワード・バッチ博士の著書に頻繁に使われる言葉で最重要とされているものとなります。
人間が目にするあらゆるものは、その無数の形の中に惑星であれ小石であれ、星や霧の雫であれ、また人間でも単細胞の生物でも神聖なる愛の表れであることを十分理解する必要があります。
引用:エドワード・バッチ著作集「汝自身を癒せ」より


では、なぜそれが愛と言えるかといえば、自分以外のものが自分と同じであるなら自分と同じように見ることができるからです。
友人の苦しみが自分の苦しみであり、恋人の苦しみであり、親の苦しみでもあり、子供の苦しみであり、地球の裏側の知らない人の苦しみでもあるのです。すべてが自分の苦悩と等しいのです。
相手からの感謝も相手への感謝も自分に感謝することと同じ。
何故なら全て自分だから。
なので、誰にでも自分のように接することができるわけでその状態が「愛」となるのです。すべてを愛することができるわけです。その愛があるからこそ自分に感謝することは、相手に感謝することと同一であり、疑いなく素直にできることになるのです。
これは究極の形であり、悟りと呼ばれるものでしょう。
それは、歴史の偉人たちが成してきた行動そのものです。
仏陀が連続殺人者と化してしまったアングリマーラに対して、救いの手を差し出したように。(中部経典(Majjhima Nikāya)第86経 「アンギマーラ経(Aṅgulimāla Sutta)
イエスがローマに協力する裏切り者・搾取者として嫌われていました取税人マタイを弟子に招き罪人たちと同じ食卓に着くように。(マルコによる福音書』2章13–17節)
愛がないと、人からの好意も偽善に思えたり、下心を探ったりします。逆に自分も相手への手助けも見返りありきでの行動になります。
その先にあるのは、不安、憎悪、妬みなどネガティブな感情。
愛という美しい仮面を被った黒い本性がやがて表に出てくるのです。
このように感謝とは愛であり、万物のユニティーでもあり言語では、様々な表現方法が存在しますが、意味するものは上記となるのが様々な文献に通じるところです。

何に感謝するのか
では、感謝の対象とどういう時にするか?なりますが、それは刹那のすべての時です。
目が覚めた瞬間から眠りに落ちる瞬間までその時があります。
どういうことかというと、目が覚めたというのは、寝ている間も身体が正常に活動しているからであります。当然のことですが、病や怪我すれば不可能になります。
僕ら日本人は皆、当たり前のように家で寝ますが、その家を作ってくれた人や貸してくれた人がいるから快適に目が覚めることができます。当たり前のようですが、家のない人も当然います。このように物事当たり前のことを見つめ直すと有り難みを感じ感謝の思いが湧いてきます。
つまり、物事の抽象度を変えることです。
抽象度とは、苫米地英人氏の著書から引用します
目の前に草があり土があり、虫がいる。これが抽象度の低い古い脳が認識する世界。もう一段階抽象度の高い脳には、陸があり、川があり、海があり、空があるというようなことを認識します。
引用:「イヤな気持ち」を消す技術 著者:苫米地英人
このようにレンズのように1つの事柄を視野を変えることで認識を変えることになります。
例えば、目の前に犬がいます。抽象度を下げれば、柴犬となります。さらに下げると、友人Aさんが飼っているポチとなります。どんどん限定的になっていきます。
犬⇨柴犬⇨ポチ
ここで抽象度を上げると
生物⇦哺乳類⇦犬
というように抽象的になります。
こうみると犬も人間も同じ哺乳類なので違いがないという生物だとまとめることができるわけです。

では話を戻します。
僕らは今を生きてますが、今に行き着くまでに過去に様々な経緯があり、そこに様々な人、自然などが絡み合っています。今家にある家具もかつて地球のどこかで生息していた木々です。それが縁あって今、形を変えてこの場にいます。そしてその縁が繋がるまで多くの人の人生が交差してここにあるのです。誰一人欠けても自分の手元に届きません。このドラマを思うだけで感謝の思いが湧きあがります。
このように見方を変えるだけで、感謝を抱くことができるのです。

