「今」が素敵じゃないか

目次

自分を変える必要性

「人生を変えたい」
「もっと良くしたい」
「自分を変えたい」


このように思っている方が多くいらっしゃると思います。
僕も自分を変えることに専念していた時がありました。

これは、別に間違いというわけでなく人生を歩む過程としてとても大事なことでもあると思います。

しかし、ずっと自分を変えることを目的としているとやがて「今を生きること」という意識と整理が付かなくなる時が起こる場合があります。

「今を生きる」そして「自分を変えること」

同じようなテーマに見えてこれを両方行動として行うと果たして何がどう違うのか?
自分を変えることは、今を否定することではないか?
というジレンマも生じてきます。

今回は、僕の経験も踏まえて「何も変えない」という大切さをお伝えしたいと思います。

変える必要はない、ただ今を感じるだけ

人を変えようとすることも、自分を変えようとすることも必要ないということをお伝えしたいと思います。
ただ、今を「素敵じゃない」と感じるだけで、その結果が自然に変わるということです。

その結果である「変わる」ことを目的にしないこと、固執することは避けるべきでしょう。

何かを変えようとするからこそ、今を否定し、摩擦が生まれるのです。
変える必要はまったくありません。

ただ、今この瞬間を感じることが大切なのです。

計画や目標は今の楽しみのために

未来を計画し、目標を立てることも、達成を目的とするのではないということになります。

それを計画し、目標を立てること自体が今、楽しいからやるのです。
叶うかどうかは結果に過ぎず、重要ではありません。
今、楽しめる計画や目標を立てることこそが大切です。

例えば、車で目的地に行くことも同じです。
目的地に到達することが真の目的ではなく、行くまでの運転の全感覚を楽しむことが重要です。
物を買う時も、買うことが目的ではなく、その過程を楽しむことが大切です。

楽しむことが最優先

他人に気に入られようとする必要もなくなります。

その人と今楽しいコミュニケーションができていれば、それで十分です。

健康になろうと思う必要もありません。
楽しんで食べ、楽しんで料理をすることが大切です。

病気を治そうとするのではなく、その状態を観察し、エネルギーの滞りを感じるだけで十分です。
そこにただ、呼吸を合わせ、エネルギーを流すイメージを持つことが重要です。

決して治そうとせず、あくまで流すこと、そして観察することが大切なのです。

自然な心地よさを大切にする

ハイヤーセルフに繋がることも、何かメッセージを求めるのではなく、ただ繋がること自体が心地よいと感じればそれで良いのです。
あとは、身を任せるだけです。

普段していることをそのまま仕事にしてしまえば良いのです。
仕事と意識せずに、自分が好きなことをただ続ければ良いのです。

すべての瞬間を受け入れる

体が疲れることも愛おしいと感じることができます。

将来の不安や過去のトラウマが押し寄せてくる時もあるでしょう。
しかし、それを無視して「今」に焦点を当てることはしません。

しっかりとその感情を受け止め、観察し、自然と流れるように「今」に戻ることが重要です。
無理に「今」にすることは不自然であり、本当の意味での「今」を生きることにはなりません。

素敵じゃないか

この瞬間、今の自分が体調がどうであってもその自分を観察して変えようとせず「素敵じゃないか」と気づくことです。

怪我も病気も悩みも孤独もすべてこの時を観察すれば、その状態を愛おしく思えそういう状態も「素敵じゃないか」と客観的に思えるようになります。

その結果、自然と整い結果的に癒されて本来の状態の戻ることでしょう。

決して、薬を使うなということではありません。
薬を使っている自分も「素敵じゃないか」と思えばいいのです。
辛い時は無理する必要はありません。

大事なのは、今を観察して無理に変えようとしないことです。
良くしようとしないことです。

ぜひ、今から小さなことでも良いのでこの時に感じることに「素敵じゃないか」と言ってあげてくださいね。
それは自分自身であり、他人に対しても同様となります。

批判せず、無理に変えようとせずです。
それが善意の気持ちでも。

善意だとしても時としてはそれは介入となり、相手にストレスを与えることにもなります。
いいのです。
相手もすでに素敵なので。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
これを読んでいるあなたも今が「素敵じゃないか。」

まとめ 〜今回お伝えしたいこと〜

今、この時を観察

常に今この時に五感で感じる事柄に意識し観察すること

良くしようとしないこと

身体や心が辛い時も無理に良くしようとしないでその状態を観察すること

結果を目的にせずに過程を楽しむこと

結果は結果であり、勝手にでるもの。そこに執着すると今を楽しむことから離れてしまう

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